沈黙の女

仕方がない、最後の手段だ。

何とか手荒な真似をせずに済むよう試行錯誤して来た私だが、いい加減何らかの結果を出さなければならない時期でもあった。依頼者は長い目で見ているから好きにして良いと言ってくれているものの、その表情は明らかに焦っていた。

長い間この依頼者の豪邸で過ごしてきた私だったが、最近はこの屋敷暮らしを失いたくなくてチンタラとした日々を送っているだけなのではないかと自問するようになり、当初の目的を一刻も早く果たすべきだと、今回この少々手荒いやり方を選択した事が間違いではない事を信じつつ、腹を括って小屋へ向かう事にした。

屋敷を出てしばらくその広い敷地を南へ歩く。玄関から入り口に通ずる道沿いでは、庭師が5、6人がかりで樹木の手入れをしていた。彼らは私に手を振り愛想笑いをしたが、私はそれを無視して歩いた。すれ違った後、彼らが舌打ちするのが聞こえた。が、そんな事に構ってはいられない。

緩やかな上り坂を500メートルほど歩くと、ヤツがいる小屋が見えてきた。すでに目覚めているはずの時間だ。小屋の上では長いこと油をささずにいる風見鶏が強風の力に抗い、ギイギイという耳障りな音を立てている。長い事手入れのされていないその小屋に向かう。今日こそカタをつけてやる。

玄関横には見張り役の黒人がゆり椅子に座っていた。彼は私に気がつくと慌てて立ち上がり、帽子を取って挨拶してきた。

「お、おはようござえますだ。ききき、今日もいいお天気で」

「彼女は?」

「おおお、起きてますだ。ゆんべも突然暴れ出して、そそそりゃ大変で」

「相変わらずか。それで何か喋ったか。罵り言葉とか、哀願とか」

「そ、そそれがそっちの方は一言もも。」

「これだけ手を尽くしているのに変わらんか。そろそろ喋ってもいい頃なんだが」

「もももうし訳ねえだ」

「いや、お前が謝ることではないよ。ご苦労だった。今晩もまた夕方から頼むぞ」

「へへ、へい」

「しかし昨日の夜は大変だったようだな。これで帰りに酒でも買え」

「ここ、こんなに。こりゃあ酒屋が買えちまいますぜ!」

「そんな訳がないだろう。相変わらず冗談のセンスがないやつだ。ただ言っておくが今晩も仕事なのだから、あくまで寝つく為の酒だと自分に言い聞かせて飲むのだぞ。飲み過ぎるなよ」

「そそそ、そりゃもう。ででではおいとまします。そそれではまた、今晩に」

「気をつけてな」

見張り役は渡した銀貨を受け取ると、小走りで嬉しそうに帰っていった。私は普段人に恵んでやったりするような性分ではないのだが、ふと「今回の仕事が終われば彼の見張り役という仕事もなくなる」などと思ってしまい、気の毒になってついよけいな真似をしてしまった。確かにあの歳の黒人がこれから仕事を見つけるのは大変だろうが、だからといって彼の為にわざと成果を出す事を延ばすわけにも行かない。

しばらくして、私はポケットから鍵を取り出し小屋の玄関を開けると、ゆっくりと中に入っていった。

ヤツがいる。こちらを睨んでいる。私は無表情でヤツに近づくとその右手をぐい、と引っ張り上げた。ヤツも抵抗するが私の力には到底勝てない。食事は与えているが、いつも食器ごと蹴飛ばして口にしようとはしないので、体力もかなり落ちてきている。それでもヤツは時々突然狂ったように暴れ出すのだから、人間の生命力というのは恐ろしいものだ。

天井から下がっている手錠を、私は力任せにヤツにはめた。手錠には鎖がついており、それが天井にある鋼鉄の輪っかをつたって部屋の隅にある木製の歯車まで伸びている。この歯車を回すことでヤツをこちらの思う通りに吊るし上げたり叩きつけたり出来るのだ。しかし、今更そんな事をした程度でヤツが喋るとは思えない。私は暖炉の具合を確かめると火をつけた。8月だというのに。

窓を締め切り、分厚いカーテンを閉じると部屋の中はまるで今しがた夜になったかのような印象を受けた。ここからは我慢比べだ。

「なあに、大した事じゃない」

私は来る時に持ってきた大きな水筒をドカリ、とテーブルの上に置いた。

「そのうちお前さんはこれを欲しがって喋るだろうよ」

そう言って私は椅子に腰掛け、ヤツをじっとみた。

みるみる室内の温度は上がっていく。自分の体から汗がジトリジトリと出てくるのを感じているが、ヤツは私より苦しい状況のはずだ。少なくともこちらが先に根を上げることだけは避けねばならない。そしてそうならないよう、私の前には切り札が置いてあるのだ。自分の喉が乾きに耐えかねた頃、私は行動に出た。

「あー美味いな! こりゃたまらん!」

そう言って水筒の水をコップに移し、私はガバガバと飲んだ。本当はこの後の長丁場を考えると少しでも残しておくべきなのだが、相手を煽るにはこのくらい派手に飲まなければならない。ヤツが体を乗り出してきた。……今日はいける。さすがにこれだけ責められれば、水を飲まずにはいられないはずだ。

「いいか、喋っちゃえば楽になるんだよ……この苦しみから解放されたいだろう? 思い切りこの水を飲みたいだろう……?」私はそう言いつつ残りの水をまたグイ、と飲んでみせる。それを見たヤツはこちらへ駆け寄ろうとしたが繋がれていた鎖の長さが及ばず、ビン、と張った鎖の反動でフラフラとよろめき、床へ倒れた。口元がピクピクと痙攣している。もう少しだ。

「言っちゃいな……コイツが欲しいんだろ……」

いよいよヤツは限界が来たらしい。全てをあきらめたかのような顔をした後ゆっくりと立ち上がり、私に向かって懇願した。

「ヴ……ヴォーダー……」

私はその言葉を聞くと即座に椅子から飛び上がって玄関まで駆け出し、勢い良くドアを開けると屋敷に向かって大声で叫んだ。

「奥様! へレンが! ヘレンが!」

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*