映画感想: ドクター・ストレンジ

「ソープへ行け!」

これは小説家・北方謙三先生が、雑誌で連載していた人生相談コーナーにおいて放った名文句であり、ソープとは風俗店の一業態であるソープランドの略語である。

が、私はこの「ソープへ行け!」という答えが、何の質問に対してなのかは知らなかった。調べてみると、童貞をスムーズに捨てたい、という質問の答えを皮切りに、体臭が臭ければ毎日ニンニクを食いソープへ行け(そして「これが俺のにおいだ!!」と嬢に言え)、自分のペニスが小さいと思ったらソープへ行け(そしてお世辞で慰められろ)、などとおっしゃっていたらしい。

確かに童貞は面倒くさい。いやもちろん、普通に接している分には問題なくコミュニケーションを取れるし、迷惑をかけてくるのは酒癖や素行が悪いヤツの方が圧倒的に多い。

しかし、規範やルールからちょいと外れた事をしようとした時に咎めてくる輩というのは、圧倒的な確率で童貞だ。

「それは違法ですよ」とか「社会的にどうなんですか」とか。人殺しや窃盗などであればともかく、呑んだ帰りの立ち小便であったり、誰も来ない田舎道での長時間駐車であったりといった場合にも、釘を刺しておかねばならない、という風な勢いでこちらを咎めるのは、確かに悪いのはわたしかもしれないが息が詰まる。

未成人であれば、童貞は許しても良い。しかし、いい年齢になってなお童貞というのはいかがなものか。つまり、「お金を出して風俗に行ってまで童貞を捨てたくはない。自分はやはり、たとえ避妊具を付けての行為に相成ったとしても、やはり相思な女人と通じ、そのフィールドに我が子種を巻くのである」という思考を持つのは、大人として駄目なんじゃないかと思う。

清濁併せ呑む覚悟が無ければ、この世界の本当の姿はみえてこないのだから。

そういう意味で「ドクター・ストレンジ」に出てくる、主人公を支える存在であるモルドくん(演: キウェテル・イジョフォー)は、やはりソープに行く必要があると思う。理由は後述するが、とりあえず世界中どこでも移動出来る能力があるのだから、日本での筆おろしをお勧めする。しかしその前にハリウッドに行き、オリバー・ストーン監督に助言をいただておくとなおよい。そうして得た情報を基に、吉原なりなんなりのソープに行くべきだ。ここで、お金がもったいないからと西日暮里や池袋あたりで済ませてしまうのはいただけない。一日一杯コーヒーを我慢する程度の根性で、5〜6万の軍資金を貯金して欲しい。

ところで本作の主役であるドクター・ストレンジことスティーヴン・ストレンジ(演: ベネティクト・カンパーバッチ)もまた、ソープへ行くべき人間であった。まずはその事故により不自由となった両手、これはやはり手淫の際にはちょうど良いヴァイブレーションを生み出す震え具合をしているのだが、それは見ているに自らのイチモツをぐいと握りしめるほどの握力が発揮出来ているのか、心配になった。自分の彼女からもひょっとしたら「憎いよこのピンクローターいらず!!」という褒め言葉をもらえるかもしれないというのに、ついつい気を焦るばかりにわざと傷つけるような言葉を連発して、出て行かれた。あの場面で、出て行く彼女と入れ替わりで北方先生が入ってきてくれたらどんなに良かったか。おいおいしょげてんな、奢ってやるからいっちょソープでも行くか? と励ましてくれさえしたら、ネパールに旅立つ事もなかったのかもしれない。

もちろんこの映画に北方謙三はキャスティングされていないのだから、ドクターはネパールに行くしか無かった。そしてそこで得た不思議な体験をきっかけに、魔術の修行を積む事になる。

本編前の予告で「トリプルX: 再起動」に出ていたドニー・イェンの華麗なるアクションを観てそれだけで泣いてしまったわたしとしては、この修行シーンをかつて勢いのあった香港カンフー映画のそれと重ね、あぁ、ハリウッドはようやくカンフーを認めたのだ、とこれまた泣いた。出来るならここんとこだけスピンオフしていろんな修行方法を披露する、「ストレンジ三十六房: ただいま修行中!!」みたいな一作が出来ないものか。たぶん途中で「やっぱ三十六も思いつかないので良いところで端折ろう、代わりに変な顔の鍛冶屋を出そう」という展開になると思うけど。

んでまあ奇跡の映像体験みたいなものは結構どうでも良かった。せっかくだからとユナイテッドとしまえんのIMAX3Dで観たのだが、よく考えてみればわたしは長い事視力を患っており、もう裸眼ではスクリーンがぼやけて仕方ない状態だったので、果たしてそれが自分の目が悪いのかピントがあっていないのかわからないといったありさまで、しかしとりあえず映像は楽しめた。楽しめたのだが、やはりメイキングなどを確認すると、結局はモデリングとテクスチャーとあとは頑張り、という、どこまでいってもCGで作っているんですよね、というネタばらしは、「インセプション」で一度驚いてしまった身としては、もうこの先「映像で驚く」という事はないのかなぁとがっかりもしたりする。あとトリップシーンで手がにょんにょんにょんってなるやつは、ずいぶん昔にインターネットで見つけたアニメgifで見た気がするので懐かしかった。

「博士」「カンパーバッチ」など、お固いと思われても仕方が無い要素が多く入っている本作は、それを承知したかのように随所に入れられる「ゆるめのユーモア」によって、観終わってみれば娯楽作品としてとても満足出来る仕上がりになっていた。ラスボスの倒し方は「まどマギ」っぽいと思ったが、ネットで検索すると同様の意見がちらほらとあったので、冒頭で童貞認定したモルドくんがほむほむだということになるが、しっくりくるのでそれで良い。

そしてそのモルドくんはクライマックス後、「思うてたんと違う!!」というM-1における笑い飯西田のような捨て台詞を吐いて去って行き、「ズルしてるやつは許さん!!」とばかりに、自らの信念でそういったものたちに鉄槌をくだすのであった。もう、この童貞さを見るに付け、わたしは「ソープに行け」という北方先生のお言葉を思い出したのだ。

コンパの飲み代の領収書を経理に持ってって接待交際費で落とそうとする先輩を告発したり、反対に取引先との会議終わりに「どうです、このあと一杯」という接待の申し出を「ビジネスはビジネスですから、本日はこれで失礼します」という社員が、本人は心の底からそう思っていたとしても、それが会社のためになるかどうかは甚だ疑問である。お客様用のトイレはございません、と頑に従業員用トイレを貸さないコンビニのバイトに、失禁寸前で懇願している客は果たしてその店員と店にどんな感情を抱くだろうか。本作に出てくる闇の魔術の意味合いに、ついそんな事を思ってしまった。

モルドくんに取っては、ソープの残り時間を確認する必要なアイテムだろうが、時間を意のままに操れるようになったドクター・ストレンジに、最早時計を持つ意味はない。自分への戒めとして、割れたままにしておく理由はあるかもしれないが。

– おしまい –

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