第145回「ビートたけしと行く初夏の遠足 大BBQ大会」に行ってきた

ビートたけし×アル北郷 ネット・マガジン“お笑いKGB”創刊記念対談「創刊の経緯」

アサ芸プラス 「お笑いKGB」

上記を全部読んだものとして話を進めると、そういうわけでぼくは「ビートたけし責任編集『お笑いKGB』」に入会した。先着1,000名限定でブラックカードを発行するということで、日付が変わる受け付け日午前0時きっかりに申し込んでそのカードをゲットしようと鼻息荒かったんだけど、つい酒を飲んでうっかり寝落ちしてしまい、早朝にハッと目覚めて慌てて申し込んだのだった。

どんなに早く申し込んだところで、おそらく1番は取れない。その理由はこの編集部に近しい人(執筆している漫画家やイラストレーター、ライターなどを含む)、もしくはビートたけし周辺でこのコンテンツを応援してくれそうな人にも、このカードは配られているはずだからで、それでもできればなるたけ若い番号が欲しかった。

しかし、速攻ならずとも早起きして申し込んだ甲斐はあって、しばらくしてから家に届いたカードはしっかりと黒かった。会員番号は155番。3桁台だったことに、ぼく以外に0時から朝までの間にそれだけの人が申し込んだのだという事実に驚いた。

カードに、「ご署名」とあるのでしばらく考えた。本名を書けば済む話なのだが、コンテンツの本文にはカツラだのチンポだの書いているコーナーがあるし、今後ぼくがネタ投稿などしようと思い立った際にはハンドルネームで送るわけだから、ハンドルネームを書き込んだ。

「会員を呼んでバーベキュー大会をやろう」

そう書かれていたのが5月号。祈る気持ちで参加希望メールを出して、最初に返事が来たのが6月9日(シックスナインの日)。勤務先で震えたiPhoneのメール通知、「当選」という内容に思わず声が出そうになったことを覚えている。

メールには開催日付とざっくりした開催場所が書いてあって、この条件で参加できるかどうか確認したい、とあった。それが平日だろうと日中だろうと、仕事を休めば行ける話だから、ためらわずに「参加いたします」という返事を送った。

5日ばかりして「今詳細を詰めているのでもうちょっと待ってね」という旨のメールが来た。決まってからでも良いのに、と思ったが、待っている側の心境をわかっている丁寧なメールだなとも感じた。

そこからまた約一週間が経って、詳細メールが届いた。場所、最寄駅からの道順、開催場所のURL、受付方法、注意事項などが書いてあり「(お笑いKGBでたけし編集長が参加条件として提示していたとおり)ギリギリの汚い格好で来てください」ともあった。

「汚い」の意味はそれぞれに取りようがあると思うのだが、とりあえず文字通りの格好になろうと思い、浅草に出かけてトラヤ帽子店の店頭に並べてあった1つ1,000円の帽子を買い、免税OKの洋服屋でゴーストバスターズのTシャツを買い、そこから地下鉄に乗って新宿まで行き、ビックロで当日汚して履く用のハーフパンツを買い、新宿サブナードにある舞台用化粧品の店「三善」でお歯黒と、泥汚れを再現するための「スリラーパウダー(茶)」と、それからメイク落としを買った。しめて1万円くらいしたが、今回のバーベキューは参加費無料ということだったので、その情報を受け取る以前にバーベキュー用に貯めていたお金が使えたのでちょうど良かった。

日が近づくにつれ、当日の天気を気にするようになったが、予報はずっと雨。前日の時間帯別天気予報でやっと「昼過ぎから曇り程度にはなるかもしれない」という、外でバーベキューをするにはプチ・ポジティブな情報に変わった。

以下レポートになるが、ビートたけしについての想いを語ると文字数が倍くらいになってしまうので、ここでは客観的な描写に控え、会えたことがどれだけ嬉しかったかなどということは別途エントリとして書くことにして、「私とたけし」というタイトルでいつの日かお伝えできたらと考えている。

6月吉日。当日は嫌なことに雨音で目が覚めた。時計を見ると5時。傘を持っていなければびしょ濡れになるだろうということが音で判断できる程度に降っていた。どうにもならないことなのでとりあえず二度寝すると、次に起きた時には雨量がそれほどでもなくなっていたのでとりあえずホッとして出かける準備をした。

自宅の最寄駅からは有楽町線に乗り、豊洲で降りて、駅のトイレで「汚くなるメイク」をしたが、いささかやりすぎたように感じた。メイクを終え、駅からはゆりかもめに乗り継げば早かったのだけれど、1駅だしもったいないしと思って開催場所まで歩いた。歩いているうちにどうにか雨は上がり、傘を閉じた。「ギリギリの汚い格好」でいるので、すれ違う人が不自然に目をそらしていたが、実際にそういう境遇にいるわけでなく意図的になっていることなので平気だった。

会場入口には既にこのバーベキューの参加者であろう人たちが列をなしていた。とはいえそれらは20人に満たなかった。その時点でお笑いKGBの会員はとっくに1,000人を超えていたわけだから、自分が当選したのがどれだけプレミアムなことのなのか、その確率を暗算しようとしたが出た答えに卒倒するかもしれないのでやめた。

「ギリギリの汚い格好」で来ている参加者のなかに、「明らかに負けた」という人が一人いて、「ちくしょう、これはヤられた!! そっちか!!」と心の中で地団駄を踏んだ。その彼は、敗れた学生服に牛乳瓶メガネ、そして下駄という格好だった。

受付が始まり、確認のために会員カードを見せる。本名でメールを送ったのにカードには「きんたま画伯」と書いてあるので係の人は一瞬面食らったようだが、会員番号にて合致しているということでリストバンドが渡された。名前ではなく番号で管理する刑務所の合理性が、なんとなく理解できた気がした。

会場内ではアル北郷副編集長(以下副編集長)はじめ、多くの方々がバーベキューの準備を始めていた。参加者はまず3班に分けられ、「とりあえず呑んでください!!」と用意されたビールやチューハイなどをもらってから、バーベキューを食するためのテーブルと椅子が設置されているテントに案内された。

とりあえず同じテーブルについている参加者たちと挨拶して、乾杯して、ビートたけしのファン暦を話し、会員番号をカミングアウトした。ブラックカードを優先的に招待、という触れ込みだったが、このテーブルには赤いカード(1,000番以上)の人もいたので、「運が良い」と驚いた。

しばらく歓談していると副編集長はじめたけし軍団の方々などがそれぞれのテーブルを回って丁寧に挨拶してくれた。緊張していた脳みそも吞んでいるうちにほどよく弛緩し、テーブルを囲んでいる会員の方ともそれなりに打ち解けた頃、

「たけしさんそろそろお見えになります」

という案内があった。緊張はリセットされ、胸の鼓動が高鳴る。

雨のせいでぬかるんだバーベキュー会場に入ってくる1台の高級車。我々のテントエリアの外周をぐるりと回り込んで会場中央に乗り付けた。その後部座席から降りてきたのは、果たしてビートたけし編集長(以下編集長)だった。頭には人民帽をかぶっている。それはKGBじゃなくて中国共産党ですよ!! と心の中で突っ込みつつ、まぁ赤ければなんでもいいか、と納得した。

状況を確認するため編集長のもとへスタッフが集められ、何やらしばらく相談したのちに参加者が呼ばれ、開会の挨拶がされた。

目の前にビートたけしがいる。

この現実をどう受け止めたら良いのか、おそらくシラフだったら立ち尽くすだけで何も考えられないと思うのだが、既にぼくの血中アルコール濃度は血小板を押しのける勢いで酒が全力疾走しているありさまだったので、まるでテレビ番組を見ているのと同じ感覚で、編集長のトークを聞くことができた。つまりは酔っていて、正直その状態は楽しいながらももったいなかった。

編集長のマシンガントークは止まることなく、途中焼酎の水割りを所望されてさらにペースがあがった。感覚としてはまさに「北野ファンクラブ」。それをスタジオ見学みたいに遠目から見るのではなく、番組でテーブルを挟んで高田文夫先生が相槌を打っていた距離と同じくらいの近さに我々はいたのだから、ひょっとしたら今ぼくは新型のVRマシンの筐体内で何かの実験に参加しているのだろうかというくらいに、編集長の話に笑いながらも頭の片隅で混乱していた。

トークが一区切りつくと、それではバーベキューを始めましょう!! ということで一旦テントに戻る。参加者が座っていた3つのテーブルがそれぞれ野菜、牛肉、鶏肉を焼くグループということで振り分けられ、ぼくたちのテーブルは牛肉を焼く担当となった。

バーベキューコンロを使った焼き方を会場のスタッフからご教授いただいた。言われた通りに時間を計りながら肉を焼き、焼きあがった肉を包丁で切り分けて食べた。美味いということは言うに及ばず、それ以前にこんな厚さの肉を食べた記憶はすでに霞がかるほどだったので、ステーキとはこのように咀嚼に時間がかかるものなのだと感心したし酒も進んだ。雨はすっかりやんでいて、しばらくは天候を気にしなくて良いほどに回復していた。

ファン限定のイベントではあるが、会場は貸し切りというわけではない。同じく他のエリアでバーベキューしていた人の耳にも「どうやらビートたけしが来ているらしい」という噂が広まったようで、それを確認しようと用事もないのに我々のエリアを横切りながらテントの中を確認する人が出たりして、当然ながらスタッフにより制止され、退場させられていた。「監督たけし―北野組全記録」に出てくる「”その男凶暴につき”の撮影中にやってきた、『俺は船を見に来たのであって撮影を見たいのではない!!』」と荒ぶるおっさんのくだりを思い出した。

しばらく食事を楽しんでいた参加者に声がかけられ、編集長の大放談が再開した。残念ながら既にぼくの短期記憶発 > 長期記憶行きのセロトニンは酒という名の荒天により全便欠航していたので、自分が笑っていたこと以外はほとんど記憶にない。そんな贅沢があるだろうか。

結局、前日にグレート義太夫のブログで確認した「ギターを弾くかも(≒編集長が歌うかも)」ということもなく、事前に告知された「たけし川柳発表会」なども全部飛んで、編集長は喋りに喋りまくった。

それから、参加者が持ち寄った「持参したものを編集長にサインしてもらおう」のコーナーがはじまった。聞いた瞬間我々は蜘蛛の子を散らす勢いで自分のテントに戻り、サインを希望するアイテムを握りしめて再びその場へ駆けつけた。

ぼくは去年「したまちコメディ映画祭」にボランティアで参加した。理由はその年のコメディ栄誉賞がお笑いKGB編集長であるビートたけしだったからで、その時配給されたスタッフ用ベストを持ってきた。表から観に行くのではなく裏から支えたい、という想いで参加したのだが、「スタッフはもし参加した芸能人・映画人と会っても、サインや写真は求めないように」というお達しがあったので、もしどこかで対面しても何もできなかったと思う(しかも任されたのは別の部署だった)。だが同じ時間に編集長のホームである浅草にぼくもいるということ、またその時の現地の空気に触れることができるというのは、ニュース映像などでは追体験できないことなので、今でも参加してよかったと思っている。その時の想い出がいくばくか染み込んだスタッフ用ベストを握りしめていた。

写真: レッドカーペットの向こう側からビートたけしを見守るオフィス北野の森社長。ボランティアのシフトが入ってなかった初日は、浅草でこんな「解る人だけ興奮する」写真を撮っていた。

ベストだけでなく、事前に浅草のマルベル堂に行ってツービート時代のブロマイドを購入し、それにもサインしてもらおうと思っていた。カタログにツービートのそれは二種類あったがどちらも買い、テレビでツービートが紹介される際に使われたり、ネット検索で出てくる方とは別の、レアなブロマイドにサインしてもらうことにした。

参加条件の通り、「ギリギリの汚い格好」をしていたぼくは近ずくことすら非常に恐縮だったのだが、それでもベストとブロマイドそれぞれにサインしてもらうことができた。ブロマイドの方はその7月に誕生日だった別れた元妻のところにいる息子に誕生日プレゼントとして送ったのだが、その場では編集長に「息子に送りたいので」、とは言ったものの、「子供の名前を入れてくれ」とお願いすることはついぞできなかった。もし息子が成長してぼくのようなチャンスをつかむことができたら、その時成就すればいいか、と後々考えた。

サインが終わって、持っていたiPhoneを副編集長へ渡し、編集長とのツーショットで記念写真を撮ってもらった。

自分の右となりに、ビートたけしがいる。

その右を向いて「子供の時からファンでした」の一言でも言えれば良かったのだが、どうしても、右を向くことも、しゃべることもできない。

ぼくは無神論者なのだけれど、ぼくの隣りには神がいた。

この矛盾する心情に助けを求めるべく、ぼくは編集長ではなく目の前にいるひとたちに「今日汚しに使ったメイク道具を持ってきてるんで、良かったらみなさんも使ってやってください」と意味不明で空回りのアピールをしたのち、次の人と交代した。

「マダムタッソーの蝋人形がこんなに喋るなんて、日本のロボット技術はたいしたもんですな」

なんてジョークは天地がひっくり返っても言えなかった。だけどそういうことを考える程度に信じられず、これは嘘の記憶ではないのか、など、正常ではない思考が頭の中でぐるぐるしていた。

サイン会が終わると、参加者へのプレゼント大会が始まった。じゃんけんの勝ち負けで、順に欲しいものを貰っていく。それは今日編集長の被っている帽子だったり、「招田 三毛男」という名の、どう考えても編集長がコスプレをしているとしか思えない人がパッケージに写っている「青マネキネコ」の携帯電話用ストラップなどがあった。その中に、

立川売春の手ぬぐいを見つけて、それが欲しかった。

じゃんけんで次々とレアアイテムが無くなる中、複数本用意された手ぬぐいはまだ残っていた。その最後の1枚をゲットできた。嬉しいなと思ったその横で、参加者の一人が「手ぬぐい欲しかったー」とつぶやいたので、思わずその人に手渡してしまった。

超高倍率の応募に当選し、間近で編集長の話を聞き、サインをもらって記念撮影をした。その上自分の欲しかったものが手に入ったというのは、身にあまる出来事だ、と思ったからだ。

黙って差し出したのだが、それを副編集長がしっかり見ていて、「お、譲り合いの精神」と突っ込んだ。そのままでは恥ずかしくて、何か言い訳の一つでもしようと考え、とっさに出たのが、

「よそう、また夢になるといけねぇ」

という、立川談志の十八番、「芝浜」のセリフだった。その言葉に対し、編集長、副編集長が「芝浜だ!」とリアクションしてくれた。総毛立つほど嬉しかった。手ぬぐいを渡したことで、それ以上のプレゼントをぼくは手に入れることができたのだ。そのツッコミにうまく返すことができなくて、頭の一つでも掻いて照れておけば愛嬌も出たのかな、と今反省するがその時はそれもできず、ただただ恐縮した。言葉に込めた本意まで伝わっていたらな、と思った。

じゃあこちらを差し上げます、とぼくは副編集長から手ぬぐいのかわりに青ネコマネキのストラップをもらって、そうしてプレゼントが各人に行き渡ると編集長を囲んで参加者全員での記念撮影が行われた(写真 (画像) は後日メールにていただいた)。

そしてお時間となった編集長は来た時と同じ高級車に乗り、バーベキュー会場から去っていった。もういない、とわかった瞬間から、再びこれは現実に起こった出来事なのだろうかという感情が湧き出た。

バーベキューの方はまだ時間があるから楽しんでください、と言われ、それからまたしばらくは残っている肉を食べつつ酒を呑みつつ、参加者それぞれがサインをもらったアイテムを見せ合いこしたりして過ごした。いよいよお開きとなったので、ずっと気になっていた学生服の彼と写真を撮らせてもらって、副編集長にお礼を行って、会場を後にした。

途端に、緊張から解放されたためか今まで以上に酒が回ってきたので、帰りはゆりかもめに乗ることにした。酩酊状態でホームのベンチに座っていると、誰かが声をかけてきた。さっきまで一緒のテーブルにいた参加者の人だった。

予定では、各自が持ち寄ったうさんくさいアイテム(「ナガシマ」と書かれたサインボールなど)をオークションもしくは交換するというコーナーが開かれるはずだったのだが結局行われなかった。
「良かったらもらってくれませんか?」 と言われて差し出されたのは「等々力ベース」のステッカー。欲しかったのでありがたくいただいた。

そういえばぼくも持ってきたんだった、と、バッグの中から高信太郎の「ビートたけしの賞味期限」を取り出した。初版、帯付き、表紙をめくると著者のサインと、自身で書いたビートたけしのイラストが入っている。とあるフリーマーケットで、浅草キッドの「お笑い男の星座」に登場する「文春の目崎さん」から購入した。

ひょっとしたらこれを出したら編集長は気分悪くするかな、と心の隅で思っていたので、こういうかたちでファンのところへ渡ったのは良かった。本文の内容はともかくとして、事実、中にはビートたけし(ツービート)の歴史が確認できる貴重な資料として、編集長本人はもちろん、ダンカンの結婚披露宴、若手だった頃の浅草キッド、それから「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」のチラシ写真などが収められているからだ。

お互いにアイテムを交換して、今日は楽しかったですねという話をして、ではまた、と別れた。ひとりになったらなんだか急に寂しくなって、そしてまだ泥酔しているとはいえ興奮冷めやらなかったので、ゆりかもめを降りた豊洲駅のなか卯で親子丼とビール頼んで、それからまた有楽町線に乗って、スーパー銭湯がある自宅近くの駅で降りて風呂に入って、風呂上りに食堂でまたビールを呑んで、店を出たところのコンビニでチューハイを買って歩き呑みしながら家に帰って、そのあたりでパッタリと記憶がなくなって気がついたら次の朝布団に寝ている自分として起きた。

あれは、夢だったのだろうか。やっぱりそう思った。

楽しみにしていた未来は、あっという間に今いる空間になって、そして過去へどんどん遠のいていく。しかし昨日の出来事は夢ではなく現実だったということを、iPhoneに残った記念写真と、バッグから出てきたアオマネキのストラップが証明していた。

– おしまい –

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