あなたは不死のごとく人の死に泣く

あくまで個人的な意見だけど、人が死ぬところを見たことがある人とそうでない人では、死に対しての覚悟が違うのではないかと思う。

ものごころついた頃から死ぬのが怖かった。はじめてそれを感じたのは、幼稚園くらいだったと思う。

まだひらがなもろくに書けないこどもが、「ぼくはいつか死んでしまうんだ」と考えて憂鬱になるのだからバカバカしい。

そうやって、夜中寝る前にも時々死について考えたりして、頭の中で大声でうわーっと叫んでしまうことが多かった。

そんな事を考える時に浮かぶイメージは「無」ではなく、いつも宇宙の、星々の輝きだ。どこまでいっても果ての無い、真っ暗な中にキラキラと星の輝きが見えるイメージ。

自分が生まれるずーっとずーっと前からこの世界があった事を考え、自分が死んでもずーっとずーっとこの世界がつづき、ぼくは生まれる前と同じように「今」何が起きているのかを知る事はできなくなるのだ、「ぼく」はいなくなるのだと考えるたび、怖くて怖くてしかたがなかった。

成長して勉強し、ビッグバンをはじめとした宇宙の成り立ちや星の終わりを知る事は、「二度と考えることが出来ない世界」を想像して恐怖するイメージを増大させた。

残念ながら宗教を信じて安らぐ事は出来ず、死後の無だけを信じている。

そうしながらも事故や病気で死ぬ事なく、成人を迎えた。

母が死んだのはぼくが25くらいの時で、すい臓がんだった。死に際に立ち会った。今際の際、母はぼくがそれまで見た事が無いほど苦しんで、やがておとなしくなって、すべてを止めてしまった。享年50歳だった。

それまでにも祖父や友人の葬式にて、死んだ人がどんな感じかというのは知っていた。肌が黄色くなって、うっすらとくまが出来ていたりして、鼻に詰め物を詰められて。

だけどその時の母はそういった場所で見た他の死体と違う、「出来立ての死体」だった。映画やテレビでみたのとも違い、全然ドラマチックでも、美しくもなかった。

母の死に際は、殺虫剤をかけられてポトリと地面に落ちたハエやゴキブリがバタバタと苦しんだ後やがて動かなくなるのに似ていた。人は、人もこうして終わるのだ、と思った。

涙は出なかった。何故ならそれは、ぼくもやがて迎えるものだとその時感じたからだ。嗚咽のひとつもしないぼくを、母方の親戚は「それでも息子か」と大声で叱った。

父の判断で、母に余命を告げる事はしなかったが、自分の体が明らかにもう戻らない方法に進んでいるのだと直感したのか、生前ある日ぼくの部屋にフラリと来てこう言ったことがある。

「あなたは親の言う事も聞かず、色々好き勝手に生きてきた。わたしはそれを今までに何度も咎めたけれど、今あなたの人生なのだから、あなたの好きに生きていいと思う」

その後も、現在に至るまで、人が死んだからといって泣いたことはない。もちろん感情が無くなってしまったわけではなく、映画や小説でグスグスと泣く事はある。自己犠牲やいたわりといった行動から生みだされる感動にはてんで弱い。それはたぶんぼくがこうして死に対して冷たい分、生きているもの同士のこころのやりとりはとても素晴らしいとも考えているからだ。

あまねくすべての生命に寿命がある以上、人が死んでいくのも事故や病気を除けば、ある程度順番が決められている。

「まだ若いのに」とか「早すぎる」という言葉は何の慰めにもならない。そうなってしまったものは、なにをどうやっても元にはもどらない。

何故も何もない、死んだから死んだのだ。

若い頃であれば、同年代の他人の死はオーバードーズだとか、運転していた車のスピードを出し過ぎてトラックと正面衝突したとか、明らかに「お前が悪い」という理由で死んでいる人の割合が多かった。

しかし現在、ぼくの周りで死ぬ同年代の死因は、がんをはじめとした三大成人病がほとんどとなる程度に歳を取った。

子供のころとは違う意味で、夜、寝付く際に怖くなる。寝ている間に体のどこかが不調をきたして、もうこのまま明日の朝起きる事はないのではないか、と。

それはもう、人の死を悲しむどころではないほど心配になるのだ。

加えて、今就いている仕事において、自分の人生をこの職場で終えていいのだろうかという葛藤も最近するようになり、怖くなったのでタイミングをみはからって転職する事を決めた。しかし食えなければ事故や病気にあわずとも死ぬのだから、まだまだ生きていたいぼくは命がけで転職活動に取り組まなければならない。

平均寿命の半分の年齢をとうに過ぎ、いよいよぼくに残された時間は少なくなってきた。とりあえず、あと何回出来るかわからないから、なるべく手淫は毎日行いたい。正確にいえば射精が出来ればよいので、セックスにてそれを果たすことができるのであればなおよい。

気持ちいいンゴー!! ドピュドピュ!!

そんな快楽も、死んでしまったら二度と味わうことが出来ない。

ぼくは人の死に泣かない。ぼくも死の整理券を持った人間だから。不死ではないから。自分が死ぬことの方がよっぽど怖い、根っからの臆病者だから。

—–
追伸.
射精の表現を「ドピュドピュ!!」と書きましたが、これはあくまでイメージを喚起しやすいように配慮したもので、実際のところは寄る年波から、

「ピョコトロ」

くらいが適切な擬音となります。あしからずご了承ください。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*